黒潮押し寄せる千葉県房総半島最南端の山域、館山市に「大神宮」という地名があります。
この地で55ヘクタールというまとまった山林とのご縁をいただきました。高田宏臣個人として取得するには広大すぎる面積ですが、多くの方の賛同、協力を得て準備を進めております。
この大地への想いをみなさまにお伝えします。
土地はいっときの預かりもの
大神宮の広大な土地を私は融資を受けて購入すれども、「所有する」考えはありません。預かり、育み、そして未来に手渡す。
いわば「いっときの預かりもの」という思いで、取得します。預かりものという感覚は、日本人だけでなく、土地とともに生きてきた敬虔な世界中の先住民たちが、当たり前に持ち合わせてきた思いでありましょう。それがそれぞれの風土と文化を育み、美しく豊かで柔軟な国土の根幹となってきたのではないでしょうか。
いのちの源の恩恵を忘れた現代人山河はその地域の暮らしの根本であり、いのちの源であります。自然の恵みと直結した自給的な暮らしから遠く離れた現代、多くの人がこのことを忘れてしまったかもしれません。現代の土地の活用、それに伴う広大な地形の改変は今や奥山にも及ぶようになりました。
風土環境の意味を読み取らぬまま、故郷の山を削るなど無造作に地形を改変してしまえば、長い間地域の暮らしを守り支え続けてきた風土の加護も、恩恵も失われてしまいます。
ここ10年ほどで急速に進んだ太陽光・風力発電設備の開発は奥山にも及び、その動きは止まりません。急速にいのちの源が破壊される現状を目の当たりにし、激しく心を痛めてきました。
荒廃した奥山で住処を奪われた野生動物は、いよいよ絶滅の危機に瀕しています。相次ぐ熊の駆除に関する報道は、社会をさらに暗く、そしてますます自然と人との分断を深めているのではないでしょうか。
環境の荒廃はそのまま人間の心も体も蝕んでいるようです。子どもの自死願望も統計上でさえ、ここ数年急速に増え続け、最多を更新し続けております。
コロナ禍のせい、といわれることもありますが、私は、人が生きものとして道を見失ってしまった、人間社会の叫びに感じられてなりません。
大神宮の土地との出合い
そんな中、2023年の夏のこと、大神宮の土地周辺に、風力発電開発業者が買収のために動き始めていることを知った翌日、この山に赴き、地元の賛同者とともにこの土地を取得することを決意したのでした。
「大神宮」という地名の通り、もともとは安房国あわのくに一の宮である安房神社の御神域であり、地域の暮らしを支える大切な山域として安房神社に仕えてきた御師たちが代々暮らし、守ってきた山域です。この地の暮らしの営みは少なくとも数千年に及び、今も山の中には無数の段々畑や棚田の跡、集落や道の跡がやぶに埋もれて残っているのです。
黄色部分が取得範囲。虫食い状で現代の大規模開発は難しかったからこそ、手つかずのままに残ってきた。囲み部分が取得エリアの山域の密な等高線が急峻な地形を示している。
この痕跡をたどり、かつての道や水場、集落跡や棚田を再生し、豊かだったこの地の営みを数十年かけて取り戻したいと願い、動き始めました。
人間が壊してしまった大地は、人間の手で再び豊かに取り戻し、あまねく生きもののいのちを育み、その恩恵を受けて人もまた心身ともに健康を取り戻す。やがて大地に、次世代にお返しする。ここでやることは当たり前の営みを現代に取り戻すことに尽きるのかもしれません。
海へとつながる環境の再生を
ところが、日本有数の漁場であった南房総のリアス式海岸も近年、「磯枯れ」と呼ばれる海の砂漠化が進行しています。大神宮の麓、布め良ら漁港も今や魚影が消え、漁業者もまたいなくなりました。それもここ数十年のことなのです。
海と繋がるこの山域を豊かに再生し、土地とともにあった環境を痛めない土木の技によって、かつての風土を取り戻す。それが再び海を美しくすることでしょう。
長い間、私は山登りを続けてまいりました。神気溢れる深い山と一体になり、ひたすら歩くことで、いのちの世界の呼び声に応えるように、感謝と喜びに包まれます。それを知るものにとって、常に山は立ち返るべき心の拠り所となることでしょう。
古来、どれだけ多くの人たちの魂が、豊かな山の息吹に救われてきたことでしょう。この山域の再生は、まずは古道をたどり、かつての道の再生普請から始めます。多くの人たちと、そのプロセスから体感を共有したいと思います。
そして、その道を歩くことで人が健康な心身を取り戻し、生き方への目覚めと気づきの場になるのでは、との希望に溢れております。
風土の豊かさを取り戻す、その過程で人として、生きものとしての大切な有り様に気付き、それが現代の閉塞を乗り越え、未来につながる希望と明るさを取り戻す一隅の光となることを望んでおります。